食卓の美しいひとは、いくつになっても美しい
日々の豊かな食を大切にする藤原美智子が、お気に入りの器と、ふだんの食卓を美しく整えることの大切さを語ります。
少しずつ集めた骨董や自分で作った器も普段使いに
――美智子さんはキッチンツールだけでなく、器もお気に入りのものを長く愛用されていますね。
若い頃から器は好きですが、たくさん持っていても使いきれないので、料理に合わせやすいものを、暮らしのサイズに合わせて持つようにしています。洋食器に関しては以前のコラムでもお話しした通り、20代の頃からコツコツと集めていて、白を基調にサイズや形違いものを揃えています。シンプルなデザインのものを中心に、「アスティエ・ド・ヴィラット」のように少しひねりの効いたデザインの食器をアクセントとして取り入れるのが好き。和食器は骨董のものが中心です。
――骨董の和食器はどんなふうに集めたのですか。
20代の頃から都内の骨董店や骨董市などに出かけて、当時の自分が無理なく買える範囲で集めてきました。そのうち自分でも作りたいと思うようになって、20代の後半には陶芸教室に通ったことも。名字の「藤原」にちなんで、作品には「藤」を崩した印を入れていました。割れてしまったり、人にあげてしまったりしたものもあるけれど、今も残っているものは日常的に使っています。自分で作る器も形はオーソドックスで、デザインに少しだけひねりを効かせたものが多いですね。器の好みは昔からほとんど変わっていないみたい。
どんな器に盛りつけるか。そこに家庭の雰囲気が表れる
――インスタで拝見するお料理も、いつもきれいに盛りつけられていて、とてもおいしそうです!
家庭料理はオーソドックスなものが多いので、家ごとの違いって実はそんなに大きくないような気がします。だからこそ、作った料理をどんな器に盛るかに、その家庭の雰囲気というものが表れるんじゃないかしら。例えば、さっと茹でたそうめんをプラスチックのざるに盛るのと、竹ざるに盛るのとでは、見え方が全然違うでしょう? 本当にちょっとしたことなのだけれど、盛りつけがきれいだと料理がおいしそうに見えるし、仕草も自然と丁寧になるし、ゆっくり時間をかけて味わいくなるのではないかしら。下田の家では天気の良い日にテラスで食事をすることもあるのだけど、明るい色のテーブルクロスをかけ、庭の花をグラスに飾って、食器を並べるだけで雰囲気がガラリと変わって新鮮な気持ちになります。テーブルウェアって、日々の食卓においてとても大事なエッセンスだなと実感しますね。
肌のハリが落ちるほど、「楽屋」が透けて見えてしまう
――おもてなしの時だけでなく、普段からテーブルセッティングを大切にされているんですね。
私は一人暮らしをはじめた20代の頃から骨董の和食器やアンティークのカトラリーを普段遣いしていました。食器は使わないと意味がないですし、ヘアメイクという仕事をしながら、暮らしのなかの美しさに対して無頓着であるというのは、なんだか誠実ではないような気もして……。過去にインテリアの取材を受けたとき、編集の方に「藤原さんは本当に表と裏が一緒なんですね」と驚かれたことがあるのだけれど、美しさにおいて「表裏がない」というのは、とても大事なことだと思っています。
――表面上の美しさだけでは意味がない、と。
年齢を重ねれば重ねるほど、自分の「楽屋」が透けて見えてしまうような気がします。若いときはパンッと張った肌の中に押し込められてよく見えないけれど、肌のハリが落ちてくると、普段の暮らしぶりや内面性がにじみ出てきて、表面上の美しさだけでは取り繕えなくなるんです。ヘアメイクアップアーティストとしてたくさんの女性の「楽屋」を目にし、ライフスタイルそのものから美しさというものを意識することが大事だと実感しました。「MICHIKO.LIFE」というブランドを立ち上げたのにも、そうした背景があるんです。
モノを丁寧に扱う。美しさの原点を見失わず、軌道修正を
――「楽屋」が透けて見えると思うと、自然と背筋が伸びます(苦笑)!
年齢を重ねても凛としたおばあさまっていらっしゃるでしょう? ライフスタイルを拝見すると、やっぱり皆さん「楽屋」が美しいんですよね。ふだん人目につかないキッチンや、自分のためだけの食卓もきちんと整えられていて、モノの扱いが丁寧。これは男女問わず言えることなんですが、年齢を重ねると繊細さが徐々に失われて、無意識にモノを雑に扱ってしまう傾向があるので、気をつけたいですね。日々忙しいとなかなか意識することは難しいけれど、「最近ちょっと乱雑になっていたかもしれないな」と自分自身で気づければ大丈夫。立ち返るべき原点を見失わず、その都度軌道修正をしながら、暮らしぶりの美しい人になりたいですね。